阿木川ダム湖遊歩道

 





恵那市の老人施設にいる義母に会いに行って帰り道に寄った阿木川ダム湖。

市街地から向かうダム湖の道沿いに、おり良く桜が咲いていた。

入学式シーズンもあり制服を着た学童や新中学生が桜の木の下で記念写真を撮っていた。

桜が咲く季節は新しい生活の始まりでもあるんだなぁ。。。


ダム資料館がある公園から上流に沿って遊歩道が延びている。

あまり人が行かないその先に桜花のトンネルがある。

その遊歩道を上から見下ろして撮ってみた。



2024年4月7日撮影


女城主岩村城の桜








ハナモモの様に見えるのは、色違いの桜を重なる様に配置しているから。
岩村城の本丸の後ろ備えの郭にある桜木。

100名城として名高い岩村城は織田と武田で度々抗争を繰り広げられた場所でもある。
織田信長の親戚筋の女性が城主の遠山氏に嫁ぎ、
その後、武田家臣の秋山氏と夫婦となって岩村城は武田氏のものとなった。

武田氏が勝頼の代で天目山に滅んだころ、
織田信長はこの城で戦後処理をしていたと本丸の説明板にあった。

さらに遡って鎌倉時代、源頼朝に従った加藤氏がこの地を得て遠山氏に改姓したそうだ。
そう言えばテレビでよく見た、桜吹雪の金さんのご先祖は此処の人だったのか?


そんな事を考えながら桜を眺めた次第である。



2024年4月7日撮影





ふな岩と桜

 






磐座が好きであれば、この岩の事も知っているだろう。

岐阜県中津川市にある丸山神社の“ふな岩”だ。

自分がまだ子供だった頃、ミステリー本でこの岩の事を知った。

それから何年もふな岩の事は忘れていたのだが、

縁あって中津川市が第二の故郷となり義父に連れて行ってもらった。


中津川市にはかつて巨石文明があったのかも知れないと思わせる、巨石の名所が点在している。近くにある苗木城にも巨石群を活用して石垣が組まれている。

天守台に立てば古代の祭祀場があったのでは…と思わせる石組みもある。


さて、この岩、遠目に見れば岩全体が浮き出て、鮒と言うか鯛焼きにも見える。

ただ民家や電線が写真に映り込んでしまい、自分の納得いく写真がこれだった。

鮒岩が半分以上隠れていて尾鰭しか見えないのが残念極まりない。

あの木が刈り込まれていれば、もっとスッキリ鮒型に見えるのではなかろうか。

とは言え鮒岩の原型が分かっていれば大きな鯨が塩を噴き上げている様にも見える。



2024年4月7日撮影

熊野古道伊勢路の桜

 





宮川の川原から多岐原神社を経て、さらに上を目指して熊野古道は登って行く。

県道から振り返ってみると民家の瓦屋根の向こうに桜が顔を出している。

こう言う出会いがたまらなく好きだ。

山笑う季節は里も桜の笑いに包まれる。

幸せな時間をしばらく一緒に過ごす。


2024年3月31日:撮影



熊野古道多岐原神社にて出会った桜

 






縁あって多岐原神社へ行った時に出会った桜。
熊野古道伊勢路の三瀬の渡しで川越をしたらこの神社の前を通る。
その昔、天照大御神の落ち着き先を探す旅に出られたヤマトヒメノミコトもこの川を渡るのに難儀していたらしい。そこに地元の真奈胡神が現れて川を渡したと言う伝説のある神社だ。

熊野古道はここから山を登り三瀬坂峠を越えて瀧原宮に出る。
この桜は神社前を抜ける熊野古道から眺めたものだ。

2024年の桜前線は一週間からの遅れで開花が始まった。
ここへの旅行の際も桜狩りは期待していなかったのだが見事に咲き誇っていた。
ちょうど新緑に阻まれて見えそうでいて全容が見えない。
もどかしい思いをしながら何枚か撮らせてもらった。



撮影日:2024年3月31日






臼井城空壕の桜

 





撮影日:2024年3月4日


千葉県には江戸時代の有名な城として佐倉城があるが、

その周りには戦国期を通して歴史の拠点として活躍した城が幾つか点在している。

その一つとして臼井城を推したい。

この城は上杉謙信の攻撃にも屈する事なく、

太田道灌の攻撃も交わしている。

その昔は印旛沼を取り巻く湿地帯が天然の要害として、

城の防御力を高めていた事だろう。

お城ファンであれば、駐車場に隣接する虎口にかき揚げ土塁、

本丸と二の丸を隔離する空壕とそれらを結ぶ土橋など、

説明がなくとも直ぐに気がつくはずだ。


この桜は二の丸と本丸の間にある空壕にある。

広い空間が特徴的な二の丸、そこの空壕は植樹された桜の木で良い感じに縁取りされている。

おそらく河津桜ではないだろうか、メジロが花を啄んでは散らしている。

この写真は前出の土橋の上から撮っている。