妙高の空を染めて
妙高山を望む
2009年10月撮影
妙高山は特異な形をしているので、何処からでもそれと分かる。
金沢に単身赴任をしていた頃、毎週月曜日にこの山容を見ては、頭の中に和太鼓の音が鳴り響いた。何故だか解らないが、不思議にドンドコドンドコ頭の中で鳴り続けるような錯覚を楽しんだ。
そんな経験は僕ぐらいないのか。。。
東京に帰ってきてから、この山の懐にある高原に時々出かけるようになった。
この写真は、長野県にあるカヤの平高原から下ってくる山道で撮影した。
ここだ、と言うビューポイントはない。
志賀高原に紅葉の写真を撮りに行ったはずが、生憎の天気に意気消沈しながら、山を下りる時にこの場所を発見した。待つこと1時間、いや2時間だったかもしれない。
神様がいい物を見せてくれると、僕にはそう聞こえたから待ち続けた。
そうやって、この夕焼けにめぐり合った。
なかなか出会うことは少ない。
神様の祝福を感じた、そんな風景写真なのである。
闇の中での葛藤
妙高高原・五八木より
2009年9月撮影
似たような写真だけど、再登場だと思ってね。
ところで、
日の出写真を撮る時は、まだ暗い時間に山道を車で駆け上ることが多い。
これでもか~!っと言う具合に、エンジンを吹かしながら駆け上る。
真っ暗で、車一台が通過できる細い道を、道にはみ出した木の枝を払いながら進むのである。
車の中ではガンガン音楽をならす。最大ボリュームに近い、もちろん車の外にも音が漏れる。
民家があれば、深夜の騒音に違いない。
なぜ、そうするのか・・・
怖いから。
『鬼哭』という言葉を知っているだろうか。
草木も眠る、丑三つ時。
谷間を登る途中で、小用を足しに車の外に出てみれば分かるかもしれない。
風が凪いで入る時、暴風の時は、そんな経験はない。
ある程度、強い風が吹いている時に、聞こえてくる。
背筋がぞくぞくする瞬間だ。
たまりかねて車に飛び乗り、アクセルべた踏みで、また駆け上る。
でも、そんな時こそ。
いい日の出を迎えることが出来る様な気がする。
風が強ければ雲が流れる。
そして、こんな写真が撮れるのである。
静かな海
2009年7月撮影
笹川流れ/新潟県
ここの海はとにかく水がきれいだ。
東京に住む我々が知っている三浦半島、湘南の海岸とは雲泥の差だと思うのである。
臭いも違えば、水質もかなり違う。
でも、ゴミの散乱状況はこちらの方が最悪かもしれない。
至る所に隠れ家のような場所があり、其処此処にゴミが隠されている。
あからさまに見えるように置いてるゴミもあるのだが、残飯になるととにかく臭い。
最近の流行りか、海岸でのBBQらしき残り物があるのである。
この写真を撮った場所も、波打ち際にはスイカの皮や食料の容器、ビールの空き缶が放置されていた。
それでも、恋人たちは僕が撮っているこの場所でロマンチックな気分になっている。
岩の向こうに粟島が見える。
日が沈んで相当暗くなっていたが、デジタル一眼カメラの底力で夜でも明るく写してみた。
Location:
日本 笹川流れ
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